Erik Satie: Gnossienne No.1


「永流堂奇譚」のシリーズ紹介動画、第一話トレーラーのBGMとして使用したサティ「グノシエンヌ第一番」は、どこか怪しげな雰囲気と、現実と非現実の間をフラフラとさまようような神秘的でどこかおぼつかない印象の旋律が特徴です。
ゼンマイが切れかけたオルゴールや不規則に滴り落ちる水滴、風に翻弄されながら舞う木の葉のように静と動が入り混じっており、音楽というより「環境音」に近い印象があるかもしれません。

そもそも、グノシエンヌを作曲したサティという人はかなりの「変人」で、いつも黒ずくめだったとか、雨が降っていなくてもこうもり傘持ち歩いていたとか、死後部屋を改めると100本近い数のこうもり傘がみつかったり、二つあるグランドピアノのうち一つは中身が空で、中に未開封の手紙がぎっしり詰め込まれていたり…と、奇妙な伝説が残っています。こうもり傘で決闘してしょっ引かれたこともあるらしい。

作曲に関しても変人ぶりを発揮しており、それまでのクラシックでは伝統であった「調性法」や「和音進行」というものを放棄し、グレゴリオ聖歌などに使われた「教会旋法」を取り入れました。また、拍子記号や小節線といった、一般の楽譜であれば当然のように書かれている記号類を一切書かないことがあったり…と、革新的で自由。
さらに、曲に「干からびた胎児」「犬のためのぶよぶよした前奏曲」というタイトルをつけたり、1分程度の曲を840回繰り返す「ヴェクサシオン(嫌がらせ)」という曲を作ったり…もう、どこを切り取っても変人です。大好き。

「グノシエンヌ」というタイトルはサティの造語で、ギリシャのクレタ島にあった都市「クノーシス」が語源だとか、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味する「グノーシス」が語源だとか言われていますが、はっきりとはしていませんが、個人的には「グノーシス」が語源という説を採用したいところです。

「グノーシス」は1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想で、一般的にはグノーシス主義、グノーシス派と呼ばれます。
「グノーシス主義とはなにか」を定義づけるのは容易ではないので端折りますが、ざっくりいうと「二元論」「反宇宙論」を基本とした神秘主義的なやつです。
反宇宙論とは「今生きている世界は悪の宇宙で、実は至高神が創造した善の宇宙がある」的な理論、二元論は「善と悪」「偽と真」「肉体と霊」のような考えで、この二つが結びつくと「肉体や物質が支配するこの世界は悪の世界であるが、実はイデア支配する善の世界が存在し、自らの精神と霊性を高めることでそこ世界に到達することができる」的な思想が完成します。
そのため、グノーシスの宗教諸派は精神性を重んじ、霊性を高めるための秘密の儀式や修行を行います。ファンタジー作品に出てくる怪しいローブの集団などは、グノーシス派の集団がモデルになっているのだろうと思います。

私が「グノシエンヌの語源はグノーシス説」を推したいのは、グノシエンヌの旋律が持つ夢と現をさまようような浮遊感や神秘的な雰囲気が、肉体と霊の間をさまようグノーシス主義の人の精神のように感じるからという、極めて主観的な理由です。立ち上る香の煙をながめながら瞑想しているけれど、ときどき現実に引き戻され、また瞑想にふける…そんなフラフラしたイメージです。
サティはグノーシスが源流であるといわれる薔薇十字団とも親交があり、聖杯の薔薇十字教団聖歌隊長に任命されているので、「グノシエンヌの語源はグノーシス説」はなかなか真実味があると思います。

「グノシエンヌ」を「永流堂奇譚」のBGMとして使用したのは、永流堂という作品が「物質と精神」「現実と非現実」の間をふらふらしているような作品であり、永流堂や店主「L」もまたそういう存在だからです。私の中では「永流堂のテーマ曲」なのですね。

なお、サティはドビュッシーと友人で、ドビュッシーはサティの代表曲である「ジムノペディ」を管弦楽用にアレンジしています。
また、ドビュッシーを始め、ラヴェルやフォーレはサティの音楽に影響を受けています。私はサティ、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレの雰囲気が好きなのですが、実は繋がっていたのだと知ったときは妙に納得してしまいました。好きな傾向ってあるんですね。