Chopin:Etude Op 25 No.11
一方、「木枯らし」は…というと、「別れの曲」「黒鍵」「革命」に比べると知名度は低いかもしれません。
が、しかし。この曲「ショパンのエチュードでは最高難易度」といわれております。ただでさえ高難易度で知られるショパンのエチュードのなかの最高難易度曲…ねぇ、どこが「練習曲」なの?ねぇ、ショパンさん?!
ただ、技巧的な話としては同じパターンの繰り返しなので基礎的なところをしっかりできいて集中力を維持できれば弾けるとかなんとか。
難しいのは運指ではなく音楽的な解釈。全体的な見せ方といえるでしょう。
今回、サダモリの太刀のBGMは本当に本当に悩みました。最初はグレゴリオ聖歌にしようかと考えていたのですが、グレゴリオ聖歌は雰囲気が清浄すぎるのですよね。ちょっと違うかなぁと。あと、音源的な問題もありました。
グレゴリオ的な旋律を持つジムノペディや、永流堂のテーマ(と勝手に設定している)グノシエンヌは…というと、どうにも少し穏やかすぎる。
穏やかさも欲しいけど激しさも欲しい。最初は穏やかというか忍び寄るように始まって、突然渦に巻き込まれるような激しさが欲しい。
激しさといえばやはりベートーベンかしらん?と思って色々考えるも、どうもしっくりこない。
今回は、個人的な感情が爆発するような激しさではなく、自分が意図しない場所で状況がどんどん変化して巻き込まれ、飲み込まれるという渦のような激しさが欲しかったのです。
最初、グレゴリオ聖歌にしようかと思ったのも音楽のなかに「私」がないからというのもあります。「私の祈り」「私の賛美」ではないのですね。
サティのグノシエンヌやジムノペディも音楽のなかに「私」があまり出てこない。なんというかこうふわーっとした概念的な場所に漂う精神みたいな…何言ってんだお前は。
一方、ベートーベンは音楽のなかに「私」ががっつり入っている印象です。「私の怒り」「私の苦悩」「私の愛」「私の祈り」というような。もちろん例外もありますが、全体的に自己主張がはっきりしているのがベートーベン。
激しさや不安感という点では合致するのですが、どうも「私」が強いなぁ。熱すぎるんだなぁ。ちょっと違うんだなぁ…うーん。
「私」を感じないという意味ではバッハも候補ではあるのですが、バッハの場合は安定感がありすぎて合わないのですね。
結局どうすればいいのだと悩んだ挙句、ふと思い出したのがショパン「ノクターン13番」です。「カーラーグルの香木」でBGMに使用したあの曲ですね。
ノクターン13番は情念がこもった感じなので合わないな、というか既に使用済みだし…ということで使用することは考えていなかったのですが、構成的にはノクターン13番のような感じがいいなと思い立ってショパンを検討。
ノクターンは詩的すぎるので、あまり「私」がこもりすぎないエチュードならどうかしらん?と探した結果、たどり着いたのがこの曲です。
まず、どこか悲し気で切なく、ほんのりと「和」の雰囲気がある導入部にグッときました。
そして、ちょっと一呼吸置いてから始まる16分音符の激しいパッセージは、音が螺旋をまいて渦巻くような印象。この渦は人の感情の渦ではなく、風や水といった自然界の渦のイメージです。
タイトルは後から知ったのですが、「木枯らし」とは実にうまい命名だと感じます。つむじ風で舞い上げられた木の葉が舞っている情景…この曲を言い表すとまさにそんなイメージだからです。
「サダモリの太刀」は周囲の人間の思惑に飲み込まれ、翻弄される女性が主人公。この曲の高音部のパッセージはまさに彼女の状況にピッタリです。
導入部の旋律が、高さなどを微妙に変えながらも最初から最後まで繰り返し流れているという点も、「姿を変えても本質を失わないもの」「幾千の時を経ても変わらないもの」という作品のテーマに合致しているなぁということでこの曲を選びました。
そのテーマの象徴的な旋律が「ちょっと和風」なのもポイントが高いんですよね。だって、作中における「変わらないもの」は…まぁ、読めばわかります。