Nobuyuki Tsujii plays Beethoven’s Piano Sonata No.14 Op.27 No.2 "Moonlight" 3rd movement


永流堂奇譚第九話「哀傷のヒトガタ」トレーラーのBGMはベートーベンのピアノソナタ14番「月光」第三楽章です。
ピアノの高難易度曲といえば概ねショパンかリストなのですが、「月光」の第三楽章はショパンやリストにも負けず劣らずの高難易度曲として知られています。おそらく、ピアノを嗜む方に「高難易度曲を10曲選んでください」といえば必ず入ってくるのではないでしょうか。
といっても、技巧的な話をするとリストの「ラ・カンパネラ」よりは易しいだろうと思います。私は「猫ふんじゃった」すら弾けないので実際に弾いて比較することは不可能なのですが、音ゲー的に表現すると「ラ・カンパネラ」がレベル80だったら「月光」は60~70の間くらい…というような具合に思います。
ただ、個人的には音楽解釈や表現という点では「月光」の方が難しいのではないかと思うのです。

というのも、この曲から受ける印象は「ただただ本能のままに求めるような激しい熱」であり「ギリギリの理性で踏みとどまっている怒りのような感覚」であり「己の身を引き裂いてその内に相手を飲み込んでしまいたい、いっそ壊してしまいたいという衝動」であり「焦燥」であり…。とにかく、体の奥底でふつふつと感情が煮えたぎって吹きこぼれるような感覚の世界で、言語などで表現するのが難しいからです。

ベートーベンのピアノソナタ「テンペスト」でも同じような印象を受けました。激しい感情の渦であり、絵に例えると抽象画のよう…テンペストも月光も、私にはそう感じられるのです。
ただ、テンペストと月光では見える色がかなり違います。テンペストは喜怒哀楽でいうと「哀」が強く、青や紺がメインで緑や赤が少し入り混じっているようなイメージなのですが、月光は「怒」が強く、トーンが異なる赤をどんどん幾重にも重ねたようなイメージです。
また、テンペストは一人の人間の感情というよりも複数の人間の感情や思惑が絡まり合うような印象があるのに対し、月光はどちらかというと個人の内面にどんどん入り込んでいくような印象があります。
「あなた」に向かって切々と語りかけながら自問自答しているのがテンペストで、「俺は俺は」と自問自答しながら話しかけてくるのが月光…と、もはや何を言ってるかわからないと思いますが、私も自分が何を言っているかわかりません。

この曲は「BGMに使いたいな」と前々から思っていたけれどイメージが合致する作品を書いていなかったため使っていませんでした。
第九話を書きはじめたころはBGMのことなど考えておらず、中盤あたりで「動画のBGMは何にしようかなぁ」と薄っすら考えるようになり、何曲か候補を上げていたもののシックリせず、そのまま書き続けて終盤に入るころには「月光しかない」という気持ちになっていました。
これまでのトレーラーは、動画のコンテを書いて作画をして動画編集の最後にBGMを決めるという流れだったのですが、第九話のトレーラーは最初にBGMが決まり、BGMを聴きながらコンテを書くという流れになったのです。

第九話はこれまでの作品とは毛色が少し違うものとなっています。内容自体がちょっと激しいというか狂おしいというか…一部の表現でドン引きされやしないかと心配だったりするのですが、止めることのできない流れができていてそれをひたすら書き留めるような状態で書き上げたのが第九話です。
衝動に突き動かされるように書いた、激しさと狂おしさを秘めた作品。だからこそ、この曲しかないと感じたのかもしれません。

「月光」というのは、第一楽章を「湖面にうつる月光のようだ」と表現した方がいたことから「月光」と呼ばれるようになったそうで、ベートーベンが月光をイメージして作曲したかどうかは定かではありません。
しかし、月は古来より人の精神に多大な影響を与えると信じられており、狂気じみた精神状態を「月」を意味する「Luna」から取った「Lunatic」と表現してきたということを考えると、この狂乱のような第三楽章は実に「月光」らしいといえるような気がします。
まるっきり偶然なのですが、第九話の中心は「夜にしか外に出ないLさん」で、「毒のような言葉で心を惑わせている」のですよね…。なんでしょう、この偶然は。


月光はピアノ以外の楽器でも演奏されることがあるのですが、個人的にはエレキギターで演奏した月光が好きです。純粋なクラシックファンの方には受け入れがたかいのかもしれませんが、好みの演奏があったのでご紹介します。

ピアノにはない野性味と力強さ、エレキギターだからこそできる遠吠えのような音表現など、独特な味があってカッコいい…と思うのですが、いかがでしょうか。