Evgeny Kissin - Beethoven, Piano Sonata No. 17 Op.31 No.2 'Tempest' (part 3 of 3)


永流堂奇譚第八話「魔女のパンクリアス」トレーラーのBGMはベートーベンのピアノソナタ17番「テンペスト」第三楽章です。
実はベートーベンの曲はあまり聴いたことがなく、この曲に出会ったのは動画を作るほんの少し前のこと。仕事をしているときにネットラジオでクラシックをよくかけているのですが、「たまにはベートーベンもかけてみよう」とベートーベンのチャンネルを選んだらかかっていた…という、本当に偶然出会った曲です。
耳にした瞬間、最初の主題の部分でグッと引き付けられました。嘆きながら何かを切々と訴えかけるようなメロディ、波のような渦のような流れが一気に迫ってきたのです。
ところがこの曲…といいますか、知っている範囲でのベートーベンの曲ってものすごく親密に寄って来たかと思うと、次の瞬間突き放されるような感じがあり、見えそうで見えない、入れてもらえそうで入れてもらえない。そういうもどかしさ、気難しさがあるのです。
特にこの曲は抽象画のようだなぁと感じます。さまざまな色を持つ音、感情が「ある一定の規則に沿って不規則に並んでいる」とでもいえばよいのか、すごく感覚的・感性的で、嘆き、怒り、悲しみ、愛と許し、不意に訪れる安息、葛藤、あらゆる感情が現れては消え、消えては現れる、狂おしいような熱情と感情の渦、波。まったく言語化できませんね、これは。

この曲は演奏家泣かせかもしれません。テンペストというタイトルは弟子のアントン・シンドラーがこの曲と第23番(熱情)の解釈について尋ねたとき、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と答えたという逸話からついたとのことですが、この逸話そのものが捏造であった可能性は否定できませんし、仮に「テンペストを読め」といったからといってシェイクスピアの戯曲そのもの、あるいは登場人物をモチーフにしたとは限らないからです。つまり、音楽解釈が難しいのではないかと。
私個人としては、戯曲そのものや戯曲の登場人物をモチーフにしたものではないと思います。むしろ、ベートーベン自身の心象風景、感情の嵐を描いたものであり、仮に逸話通りの発言があったとしたら「テンペストの登場人物や物語に、私自身とリンクする部分がある」という意味で「テンペストを読め」だったのではないか。
ピアノソナタ17番は三つの楽章からなっていますが、第一楽章や第二楽章も魅力的です。第一楽章から通して聴くと第一楽章で起こった暗い感情と想いが第二楽章で一度は落ち着き平穏と安息が訪れるものの、第三楽章で激しさを増して痛みや葛藤を伴いながら再び沸き上がるというストーリー性が見えてくるように思います。
この感じはショパンのノクターン13番と似ているかもしれません。そう考えると、第三楽章だけを聞いて何らかの解釈をするのはおかしな話ですね、ノクターンだったら最期の部分だけぶった切ったりしないわけですから…。
というわけで、少々長くなりますが第一楽章から第三楽章までの動画を置いておきます。

冒頭5分くらい説明が入っています。英語です。

なんといいますか、色々書いていますが、私はこの曲をうまく言語化できませんし、できなくていいのかなぁなんて思ったりします。言葉にできない感情の渦。そこに巻き込まれて翻弄されることこそがこの曲の醍醐味のような気さえするのです。
「魔女のパンクリアス」は登場する人物が多く、シリーズでは初めてとなる一人称視点の作品です。
それぞれの出会いや感情、想いが絡まり合って一つの物語となる部分や、「切実なまでに想っていながらも伝えられない気持ち」「ある種の狂気と歪みを伴う愛」のような感情を含んだ(つもりの)部分が、この曲の悲壮感や切迫した雰囲気、さまざまな感情があざなえる縄の如く渦巻いているようすがマッチしていると感じたのでBGMとして使ってみました。