征四郎梅

 お寒いのにようこそいらっしゃいました。
こんな山奥の田舎ですさかい、お食事でお出しできるもんなんてこんなもんですけど、どうぞ召し上がってください。
村の中はもう周られましたか? まぁ、そない言うても、ご覧の通り何もない村ですけど。
あるもん言うたら、山と温泉ぐらいですわ。まだ二月やさかい、山はまだ寒うございますから、うちの温泉でよければ、堪能してってくださいな。
 ところで、征四郎梅はご覧になりましたか? ええ、丘の上に一本だけ植わってる梅ですわ。今年も紅色の花がようけ咲いて、見事な姿でしたでしょ。
いえいえ、征四郎梅いうんは品種やありまへん、品種はたしか……ヨウロやったかいな……そうそう、養うに老人の老でヨウロウですわ。
あれが征四郎梅と呼ばれるようになりましたんは、私の爺さんが、まだ若い時分からですわ。

 征四郎梅が植わってるあの丘は、今はただの空き地ですけど、その頃は一軒の家が建っとりました。
そこには子供のおらん老夫婦が住んでいましてな、爺さんの名前は征四郎、婆さんの方は信子言いますねん。
二人はあんまり表に出やんかったさかい、あんまり親しい人がおりませんでな、付き合い言うたら、雨漏りやらの時に来てくれる、大工の源八いうチョンガーくらいのもんでした。
はい? チョンガーですか? ああ、今の人はチョンガーなんて古い言葉、使やらへんのですね。ええ年して結婚もせんとブラブラしとる、独身男のことを指しますねん。
 その源八ですけど、幼い時分に両親を亡くしましてな、身寄りの無い男でしたさかい、爺さん婆さんのことを両親のように思うとりましてな、爺さんたちの方も、源八のことを我が子のように思うとったそうです。

爺さんが喜寿のお祝いに、源八はあの梅を、爺さんの家の庭に植えましてな、まぁ、梅の世話や剪定やいう口実を作って、度々出入りしよったわけです。
 爺さんが米寿を迎える頃には梅も立派に成長しまして、少ないながら実をつけるようになったんです。
ある日、夫婦二人で梅の花を眺めとった時、爺さんはふと「そや!梅干つくろ!」思たんです。
 まぁ、爺さんもいつお迎えが来るやら分からん歳でしたさかい、なんや一つ、この世に残しとうなったんですな。
源八と、源八のくれた梅が二人にとって子供みたいなもんやから、これで一丁梅干でも作ればどないやろ、梅干やったら何年でももつさかい、二人の生きた証がずっと残るやないか!
と、まぁ、婆さんもこの意見に賛成しましてな。二人は梅干を作ろうと決めたんですわ。

 せやけど、二人は梅干なんか作ったことあらしませんでしたから、本やらなんやらで調べたのはいいものの、うまくいくかどうか不安なまま、六月になりました。
その年は前の年よりようけ実がなりましてな、二人は大喜びで梅を収穫しとったんです。
ところが、なんかの拍子に爺さんのほうが梯子から落っこちましてな、腰を痛めてしもうたんです。
この頃は爺さんもまだ元気やったさかい、婆さんと二人で梅を洗ったり塩漬けにしたり、梅干作りに励んどったんです。
 梅を塩漬けして梅酢が出たとき、二人は大喜びしましてな。そりゃもう、初孫が産まれたような喜びようやったそうです。
爺さんはしょっちゅう、漬物樽の中を覗きこんでは「美味い梅干になれよ。」言うてたそうです。

 七月に入って、あと少しで土用干し……という頃、爺さんの具合が急に悪うなりましてな、どうも腰を打ったのが良くなかったようで、起き上がるのも一苦労になってしもたんです。
その年は蒸し暑い日が多かったそうですから、老体に堪えたんでしょうなぁ。
 婆さんは、爺さんに美味い梅干を食べさせて、何とか元気になってもらおうと思っとったんですが、なにやら梅酢が白っぽく濁っとる。
不安にはなりましたけど、初めてのことですさかい、そんなもんかも知れへんと思ったそうです。
 いよいよ土用に入る頃、爺さんの具合はますます悪うなりましてな、ほんまに、いつお迎えが来るやら分からん状態になりました。
これはますます美味い梅干を作って、なんとしても食べさせなアカン! いうことで、婆さんは土用干しをするために漬物樽の蓋を開けて「アッ!」と叫んだ。
可哀想に、梅にはびっしりカビが生えとったそうです。

 結局、二人の梅干作りは失敗に終わってしまいまして、爺さんも最後の支えを失ったようにガタガタっと体調を崩しましてな。あっという間に死んでしまいましたんや。
梅干のことが余程悔しかったんでしょうなぁ……臨終の際にも、うわごとのように「梅干……信子、すまんなぁ。ワシのせいですまんなぁ。」と呟いとったそうです。
婆さんはその手を握って「征四郎さん、あんたは立派な梅干を作ったじゃありませんか。信子を見てください。征四郎さんと夫婦になって六十年、信子はずっと幸せでしたよ。ほら、そのおかげで今は顔中、笑い皺だらけの梅干婆さんですよ! 早う元気になって、来年も梅干作りましょうね」と言うたそうです。
爺さんは、婆さんの顔を見て満足げに笑うと、静かに息を引き取りました。

 爺さんが死んだその翌年、婆さんは一人で梅干作りに挑戦して失敗し、また次の年、次の年と梅干作りに励んどったそうです。
そしてとうとう、初めての梅干作りから四年目で、梅干作りに成功しやったんです。
それで安心したのか、その年の秋に婆さんもポックリ逝ってしまいました。

 二人には身内がおりませなんだので、葬式は源八があげました。
言うても、弔問客の少ない、寂しい葬儀やったそうです。
質素な暮らしぶりでしたんで、遺品らしい遺品も無かったんですけど、唯一、大事そうにしまってあった包みがあったそうです。
 綺麗な緋色の風呂敷に包んでありましたさかい、大層なもんやと思って開けてみると、なんの変哲も無い壷と、半紙に書かれた手紙が入っとったそうです。
源八さん。一人暮らしは栄養が偏って体に悪いから、梅干を食べて立派なお仕事をしてください。そのためにも、早くいいお嫁さんを貰ってください。今年の冬は寒くなるから、体に気をつけてください。お酒を飲みすぎては体に毒ですよ。それから……

 あれ、どないしました? 梅干をじっと見つめて……。
ああ、さいですか、しょっぱくて涙が出たんですか……。
いいえ、うちの爺さんもね、婆さんの手紙を読んで同じことを言ったそうです。はい、源八っていうんですけどね……。

       終