アヴニール

 

電子書籍で初めて出版した小説であり、生まれて初めて公募に出した作品。なんだかんだで最終選考の手前まで行ったえらい子。
物語の転換点となる「箱」のエピソードは自分が夢で体験したことで、妙に印象に残ったことからそのエピソードを元に小説を書こうと思いつく。奇しくも、夢の中で何度も奇妙な街を訪れており、「箱」のエピソードと夢の中の街を結び付けたら「新天海シティ」ができきた。街の風景が頭の中にできているので、情景が説明しやすかったし、そこに住んでいる人々(夢の中に出てきた)の姿もイメージしやすかった。文章力が弱いのでうまく説明できないが。
当初は少しばかりさまよって何事もなく帰る予定だったのだが、書き進めていくうちに流れが変化。結果、大変なことになってしまった。
ストーリーにはヨハネの黙示録、マハーバーラタの要素少し含んでいる。私が書くファンタジーに神話要素が入ってくるのは多分女神転生シリーズのせいです。「月刊ムー」を読んで育ったオカルトの子だもの、仕方ないね。
「アヴニール」を書きあげた日から、何度も訪れたあの街の夢を見なくなった。どうしてだろう。結構好きだったのに。

友人(ネパール人)からのリクエストもあり、Google翻訳、Bing翻訳を駆使して英語版も発行。無謀すぎる。「Yuuki Ryouten」という名前なので、著者セントラル上は別の著者扱いになっている。


永流堂奇譚

「奇妙な店と、その店を訪れる客の物語」を書きたいと以前から思っており、喫茶店にしようかバーにしようか、はたまた本屋にしようかなどと考え続けてン年が過ぎた。仕事で骨董関係の記事を書くようになり、自分自身も古いものが好きだということから「よし、骨董屋の話を書こう」と思い立つ。
どうせなら思いきり変な店にしよう。“いわくつき”の商品ばかり置いて、店主も人間離れしていると面白い……ということから、骨董屋「永流堂」のイメージと、その店主「L」が誕生した。ちなみに、店名の「えいりゅうどう」は店主が「える」だからという割と安直なネーミング。でも、漢字にするとしっくり来たのでそのまま採用。

「永流堂奇譚」は一話ごとに完結するストーリーと、シリーズ全体を通して「永流堂とはなにか」「Lは何者なのか」などをめぐる、短編と長編の要素を持ち合わせた作品です。骨董品関係のうんちくもちょっと入っております。

■各話紹介■ ■表紙デザイン■ ■登場人物紹介■ 


娘さんよく聞けよ、ネパール人には惚れるなよ。

電子書籍第一号。
近所に開店したインド料理店でホールスタッフを募集していた。子供が手を離れ、手頃な仕事を探していた私にとって時間の条件がぴったり合う仕事なので働くことを決意。しかし、スタッフは全員ネパール人だった。
私にとってネパールは「世界ふしぎ発見!」で見たことがある程度の国で、ヒマラヤがある、ヒンドゥ教の国……という程度の認識。ネパール人ってどんな感じ? ネパールってどんな国? と、ネパール人は謎だらけ。
近年、インド料理店だけではなく、コンビニや一般企業にも増えている在日ネパール人。どう接すればよいかわからないという方も多いのではないでしょうか。
そこで、何かの役に立つかも? という思いから、ネパール人から聞いた話やニュースから見えるネパールという国、対談の内容をまとめてみました。性に関する質問などもガンガンしています。


痴漢被害: その時、何が起こるのか

SNSでたびたび話題になる「痴漢被害」と「痴漢冤罪」の話題。
しかし、その内容を見て見ると……あれ? なんだか話がかみ合っていないような?
ふと思ったのは「男性って痴漢被害がどんなものか案外知らないのでは?」ということ。それはきっと、多くの女性が話そうとしないから。
それでは、恥も外聞もない私が思い切って話しましょう! ということで、私が高校時代に遭った痴漢について赤裸々に描いてみました。
「痴漢ってどこまでやるの?」「なぜ声を上げないの?」「痴漢を捕まえたあとはどうなるの?」など、そのとき何が起こるのかを、なるべく明るくユーモラスにまとめました。
できれば、男性に読んで欲しいエッセイです。


性を捨てよ、我に生きよう。

「男らしさ・女らしさ」「男だから・女だから」そんな言葉に縛られたくない。
「女子力」なんてくそくらえ! 「ジェンダーロール」は投げ捨てろ!
性別なんて意識せず、男でも女でもない「自分」を生きれば、人生はきっと楽になる。

子どものころから性別をガン無視して生きてきた私の半生と、性別を無視した「ジェンダーレス」な生き方についての考えをまとめたエッセイ。
社会に働きかけるフェミニズム活動的な内容ではなく、「性別なんか無視して生きてええんやで」というような、個人の生き方について書いた自己啓発寄りの内容。
女性視点ではありますが、男性にも読んでいただけると思います。


「諦める」から始める生き方

 

「諦める」というと「物事を放棄する」「自分自身に負ける」といったネガティブな息で取られがちですが、実はもともと「諦める」は、現在使われている意味とは全く違う意味がある言葉でした。
そして、本来の意味での「諦め」を行うと、生きることに伴う苦しみがほんの少し楽になる…かもしれない。

という内容のちょっと哲学的な本。仏教用語が用いられていることから、仏教哲学の本であるような感じがしますが、実のところ仏教の本ではありません。
というのも、私の母が仏教系カルトの熱心な信者だったせいで「宗教アレルギー」のような状態だったから。宗教、特に仏教と聞くとそれとなく距離を取ってしまう…というような状態。仏教について学ぶ機会は、社会科の授業程度のものでした。
そんなわけで、この本に書いてあることは仏教哲学の影響を受けていない私自身が、ひたすら自身に向き合い続けて見つけ出した生き方と考え方。一つの方程式のようなものです。
成人してから宗教アレルギーも薄まり、仏教美術に興味を持つようになると仏教哲学に触れる機会ができたのですが…え、なに、私の考え方とそっくりじゃん! ということに気づいたのです。

そんなわけで、自分の言葉を説明するのに仏教用語を拝借させていただいたという次第です。
しかし、自分と同じような事を考えていた人が2000年以上前にいたというのはなんだかすごいですね。今も昔も、人間の悩みというのは本質的に同じということなのかもしれませんね。


その不安 一体何でしょう?

「諦める」から始める生き方 に続くセルフヘルプ系本の第二弾ともいうべき本作。取り上げたテーマは「不安」です。
新型コロナウイルス感染症が流行した2020年は、SNS上でも不安に駆られている人が多く見受けられました。
しかし、そんな渦中にいながらも全くといっていいほど不安を感じない私…むしろ「みんななんでそんなに不安なの?」と不思議に思うほどでした。
振り返ってみると切迫流産で入院したときも「入院してください」といわれて少しの間は不安になったけれど、すぐに「上げ膳据え膳食っちゃねライフうめぇ!!」と考えが切り替わって絶対安静ライフエンジョイ勢になるほど不安耐性が強い私…不安になりやすい人との違いって何だろう? どうして私はこんなに不安耐性が高いのだろう? と考えてみたところ、たどり着いたのが「考え方のクセじゃないか?」ということでした。

というわけで、自分がどのように「不安」という感情を処理しているかを分析してまとめたのが本作です。
不安というものの種類を分類して種類に合った対処をすること。具体的な対処の方法などをまとめてみました。なんと、文だけではなくヘッタクソなマンガまでついています。

ただし、不安には対処できる不安と対処できない不安があります。対処できない不安はどうすればよいか…についてもちょこっと書いてあります。

読めば気持ちが楽になるかもしれない、実践的な本になったかなぁと思います。