征四郎梅

爺さんが喜寿のお祝いに、源八はあの梅を、爺さんの家の庭に植えましてな、まぁ、梅の世話や剪定やいう口実を作って、度々出入りしよったわけです。
 爺さんが米寿を迎える頃には梅も立派に成長しまして、少ないながら実をつけるようになったんです。
ある日、夫婦二人で梅の花を眺めとった時、爺さんはふと「そや!梅干つくろ!」思たんです。
 まぁ、爺さんもいつお迎えが来るやら分からん歳でしたさかい、なんや一つ、この世に残しとうなったんですな。
源八と、源八のくれた梅が二人にとって子供みたいなもんやから、これで一丁梅干でも作ればどないやろ、梅干やったら何年でももつさかい、二人の生きた証がずっと残るやないか!
と、まぁ、婆さんもこの意見に賛成しましてな。二人は梅干を作ろうと決めたんですわ。

 せやけど、二人は梅干なんか作ったことあらしませんでしたから、本やらなんやらで調べたのはいいものの、うまくいくかどうか不安なまま、六月になりました。
その年は前の年よりようけ実がなりましてな、二人は大喜びで梅を収穫しとったんです。
ところが、なんかの拍子に爺さんのほうが梯子から落っこちましてな、腰を痛めてしもうたんです。
この頃は爺さんもまだ元気やったさかい、婆さんと二人で梅を洗ったり塩漬けにしたり、梅干作りに励んどったんです。
 梅を塩漬けして梅酢が出たとき、二人は大喜びしましてな。そりゃもう、初孫が産まれたような喜びようやったそうです。
爺さんはしょっちゅう、漬物樽の中を覗きこんでは「美味い梅干になれよ。」言うてたそうです。

 七月に入って、あと少しで土用干し……という頃、爺さんの具合が急に悪うなりましてな、どうも腰を打ったのが良くなかったようで、起き上がるのも一苦労になってしもたんです。
その年は蒸し暑い日が多かったそうですから、老体に堪えたんでしょうなぁ。
 婆さんは、爺さんに美味い梅干を食べさせて、何とか元気になってもらおうと思っとったんですが、なにやら梅酢が白っぽく濁っとる。
不安にはなりましたけど、初めてのことですさかい、そんなもんかも知れへんと思ったそうです。
 いよいよ土用に入る頃、爺さんの具合はますます悪うなりましてな、ほんまに、いつお迎えが来るやら分からん状態になりました。
これはますます美味い梅干を作って、なんとしても食べさせなアカン! いうことで、婆さんは土用干しをするために漬物樽の蓋を開けて「アッ!」と叫んだ。
可哀想に、梅にはびっしりカビが生えとったそうです。