征四郎梅

 結局、二人の梅干作りは失敗に終わってしまいまして、爺さんも最後の支えを失ったようにガタガタっと体調を崩しましてな。あっという間に死んでしまいましたんや。
梅干のことが余程悔しかったんでしょうなぁ……臨終の際にも、うわごとのように「梅干……信子、すまんなぁ。ワシのせいですまんなぁ。」と呟いとったそうです。
婆さんはその手を握って「征四郎さん、あんたは立派な梅干を作ったじゃありませんか。信子を見てください。征四郎さんと夫婦になって六十年、信子はずっと幸せでしたよ。ほら、そのおかげで今は顔中、笑い皺だらけの梅干婆さんですよ! 早う元気になって、来年も梅干作りましょうね」と言うたそうです。
爺さんは、婆さんの顔を見て満足げに笑うと、静かに息を引き取りました。

 爺さんが死んだその翌年、婆さんは一人で梅干作りに挑戦して失敗し、また次の年、次の年と梅干作りに励んどったそうです。
そしてとうとう、初めての梅干作りから四年目で、梅干作りに成功しやったんです。
それで安心したのか、その年の秋に婆さんもポックリ逝ってしまいました。

 二人には身内がおりませなんだので、葬式は源八があげました。
言うても、弔問客の少ない、寂しい葬儀やったそうです。
質素な暮らしぶりでしたんで、遺品らしい遺品も無かったんですけど、唯一、大事そうにしまってあった包みがあったそうです。
 綺麗な緋色の風呂敷に包んでありましたさかい、大層なもんやと思って開けてみると、なんの変哲も無い壷と、半紙に書かれた手紙が入っとったそうです。
源八さん。一人暮らしは栄養が偏って体に悪いから、梅干を食べて立派なお仕事をしてください。そのためにも、早くいいお嫁さんを貰ってください。今年の冬は寒くなるから、体に気をつけてください。お酒を飲みすぎては体に毒ですよ。それから……

 あれ、どないしました? 梅干をじっと見つめて……。
ああ、さいですか、しょっぱくて涙が出たんですか……。
いいえ、うちの爺さんもね、婆さんの手紙を読んで同じことを言ったそうです。はい、源八っていうんですけどね……。

       終

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