突然の訪問者

 気がつくと、俺のカップは空っぽになっていた。爺さんのほうは一滴も減っていなかったが。
「もう一杯入れてこよう。次は安い豆でな。」
俺は独り言を言って立ち上がり、キッチンの方へ向かう――一瞬、眩暈がして体がぐらつき、爺さんの砂時計にぶつかった。
「悪りぃ!」
危うく倒れそうになった砂時計を慌てて受け止めて立て直す。砂が残り僅かになっていた。
「おい爺さん。砂が終わっちまうぞ。」
 俺はテーブルの上にカップを置き、砂時計を抱え上げてひっくり返した。
背の低い爺さんが持っていたからそれほど重くないと思っていたのに、砂時計は意外に重かった。
爺さんがバカ力なのか、俺がフラフラだからなのか――。
「返したな。」
 爺さんの声がした。
驚いて顔を上げると、爺さんはフクロウのように首だけをこちらに向け、カッと目を見開いている。
まるで猛禽類のようなその目つきに、俺は思わず身震いをし、砂時計から手を離すとキッチンのほうに後ずさりした。
 爺さんは目を見開いたまま立ち上がる――殺される! 俺は身の危険を感じた。
普段ならこんな爺さんに負ける気などしない、けれど、今は数日に及ぶ徹夜明けで、目を閉じた瞬間に眠ってしまいそうなほどフラフラだった。
年寄りとはいえ相手も男だ。今はかなり部が悪い。
 俺は半ば恐慌状態で身を守るものを探した。包丁? いや、刃物はまずい。うっかり奪われでもしたら確実に殺される。じゃあ、何を……。
俺の目に入ったのは、コーヒーを淹れるのに使ったヤカンだった。
俺はコーヒーを入れるときは大目に湯を沸かすからまだ中身は残っている。
時間もたっているから少し冷めてはいるが、火傷する程度には熱いはずだ。爺さんを怯ませるくらいにはなるだろう。
 俺はヤカンを手に取り、爺さんに向かって身構える。武器がヤカンとは、なんともマヌケな話だが。
爺さんは猛禽類のような目で俺をじっと見つめていた。数十分なのかほんの数秒なのか分からないが、俺にとっては永遠と思えるくらい長い間、俺を見つめている。
そして、爺さんはやおら砂時計を抱え上げると、来たときと同じように、音もなく歩いてどこかに行ってしまった。
 ドアが開閉したような音はしなかったが、爺さんの気配は消えていた。
俺は確認する勇気もなく、気が抜けたように座りこんだ。うっかり滑り落としたヤカンが、大音量を上げながら生ぬるい水をぶちまけた。

←Prev □ Next→