長い夜のすごし方

 アタシの体温が受話器に伝わって、ずっしりとした重みがなんとなく生き物のようだった。
色んな声色を使って、耳元で囁いてくれる生き物。優しくて、残酷。
 アタシの頬を涙が伝った。
なんで泣いてるのか、アタシにはさっぱり分からない。拭うことも出来ないほどの大量の涙。
霞む視界の中、アタシはゆっくりと番号を押す。
今度はでたらめじゃなくて、ずっとずっと前、毎日のようにかけていた番号。アタシが何時にかけても、絶対怒らなかった人の番号。
 長い長いコール音が鳴った。十回、二十回……誰も出ない、そうだよね。だって、あの人はもう――。
『はい。』
受話器を置こうかと思った瞬間、誰かが電話に出た。
心臓が飛び出そうに鳴るくらい驚いたアタシは思わず「あっ。」と声を上げると、慌てて電話を切ろうとした。
『泣いているの?』
問いかけるような、優しい声色だった。
アタシは驚いた。だって、アタシが声を上げたのはほんの一瞬だったし、すぐに受話器を離したから。
 アタシは相手の声を良く聞こうと、受話器に耳を押し当てる。
微かな呼吸音と低いノイズだけが聞こえるだけで、その人は何も言わなかった。
「どうして……?」
涙と緊張でかすれる声を振り絞って、アタシは言った。――「どうして、わかったの?」
 それからしばらく、微かな呼吸音と低いノイズだけが聞こえた。
もしかすると、からかわれただけじゃないだろうか。そんな気がし始めた頃、声が言った。
『なぜかな。なんとなくそう思ったんだ。』
「アタシがどこの誰か、聞かないのね。」
『君が誰とか僕が誰とか、そんなに重要なことなのかな。僕は、今そこにある現実。君が泣いているということだけが、この瞬間で一番重要なことだと思っている。』
 僕。男性なんだろうか。けれど、最近は女性でも僕という言葉を使う。
年齢も性別もわからない不思議な声、静かだけどしっかりとした意思を持った声。
冷静に考えるとすごくおかしな台詞なのかもしれないけれど、アタシがただのアタシとして、自然に感情を出すことを許してくれた。それだけが嬉しかった。