長い夜のすごし方

「寂しいの。アタシ、大切な人を失ってしまった。死んだの。その人が死んで、アタシも死んだの。」
 気がつくと、言葉が口から飛び出していた。
なんでだろう。誰にも言わなかったことなのに。あの人が死んで、あの人が死んだ場所を見て、アタシの中の何かが死んで、それからずっと言わなかったのに。
「アタシは一人ぼっちで、生きてるけど死んでる。誰も気づいてくれない。アタシ一人だけが、悲しくて寂しくて……」
感情が津波のように押し寄せて、アタシは涙と言葉を抑えることが出来なかった。
 指先まで冷たくなるような雨の日、あの人は家に帰る途中、トラックにはねられて死んだ。
アタシが、あの人の忘れ物に気づいて追いかけていったときにはもう、全てが終わろうとしていた。
奇妙な形に捻じ曲がった紺色の傘、電信柱にぶつかって前がつぶれたトラック、人ごみ、警察……。何が起こったのかわからなかった。
どうやって家に帰ったか憶えてないけど、気づいたらアタシは、ずぶ濡れのまま玄関にたっていた。出るときに持っていった赤い傘がなかった。あの人から貰ったのに。
 案の定風邪引いちゃって、三日くらい高熱で寝込んだ。寝込んでいるとね、あの人が来てくれたんだ。何度も何度も。アタシの髪を撫でて、何か飲む? とか、タオル替えようか? って聞いてくれるんだ。
アタシは嬉しくてそのまま眠っちゃって、次目が覚めるとあの人はもういなくて……ああ、そうだ、あの人は死んだんだ。あれは全部夢なんだって。
 夢ならいっそ覚めなくていい。睡眠薬たくさん飲んで、お酒も飲んで、もう二度と目が覚めませんようにって祈っても、いつも目が覚めちゃう。頭痛と吐き気が、あの人のいない世界にアタシを連れ戻して、タダでさえ苦しいのに、もっともっと苦しめるの。
そうしてるうちに、睡眠薬もお酒も、あんまり効かなくなってきた。
夜がアタシを押しつぶしそうなくらい、寂しくて、苦しいの。ねえ、どうすれば眠れると思う? どうすれば苦しまなくて済むのかな? ねえ、教えて?
 電話の向こうは沈黙を保っていて、その沈黙が繋がっていることだけを教えてくれる。 声は何て言うんだろう。
「自殺はいけない」「生きなくちゃだめだ」「苦しみに立ち向かえ」そんな言葉だったら、アタシはきっと受話器を置いてしまうだろう。
『君は……』
 永遠と思えるほど長い――もしかすると、ほんの数秒だったのかもしれない時間がたった頃、声が囁くように言った。
『君は、死んでなんかいない』
無意識に、アタシは心の中でその言葉を復唱していた――死んでなんかいない。死んでなんかいない。アタシは、死んでなんかいない。だから、アタシは苦しいんだ。
『君を守るとか、一緒に戦うなんてことは言わない。ただ、僕は君と話がしたいから、またここにかけてきて? 君が眠るまで、話をしよう。』
 アタシは、泣きたいのか笑いたいのか、嬉しいのか悲しいのか分からかった。
ただ、無性に眠りたかった。水に沈むような感覚に、全てを委ねてしまいたかった。
鉛のように重い唇から押し出すように、アタシは言葉を紡ぐ。

おやすみ。

そして、受話器を抱いたまま、アタシは眠った。



  終

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