ネズミ

 今までに見たことが無いほどの満面の笑顔で、ネズミは冗談を言った。こんな冗談を言うヤツだなんて、全然知らなかった。
オレはちょっと嬉しかった。ネズミは思っていたより明るいヤツで、実は隠れた才能の持ち主だった。
オレは、今までのことを謝るのは、今しかないと思った。
「ネズミ……いや、根津。今までごめん。オレ、ずっと見てたのに何もしなくて……オレ、卑怯者だったよ。ミツオがお前をいじめてる間は、オレは安全だって……。ホント、最低だよな。ごめん、ホントにごめん。」
「石井君……謝らなくていいよ。僕こそ、石井君に謝るべきなんだ。僕のせいで石井君、恥ずかしい思いしただろ? 僕が学校を辞めて、横山君は石井君に酷いことしてるんじゃないかって、ずっと気になってたんだ。石井君、ごめんね。ホントは、成田さんや宮脇君にも謝らなくちゃいけないんだ。成田さんの制服を汚したのは僕じゃないけど、僕が教室から盗んだんだから」
 ネズミは……誰のことも怨んだり、怒ったりしていなかった。その上、自分が一番の被害者のはずなのに、オレや宮脇にまで謝ろうとしてる。ホントに、どこまでお人好しなんだよ……お前、そんなんだからミツオに目ぇつけられるんだよ。お前馬鹿だよ。
 気づいたらオレは泣いていた。鼻水も涙も止まらない。オレ、もう高校生なのに、人前で泣くなんて小学生みたいで、めちゃくちゃかっこ悪いって分かってるけど……。
「根津……オレのこと、許してくれ。ごめん、ごめん……」
「石井君、許すも何も……僕が悪いんだよ。あっ! 石井君! 鼻水すごいよ! ベッドに届きそうなくらい垂れてるよ!」
 ネズミの鼻水発言に、オレは思わず噴き出した――と、同時に、鼻水も思いっきり噴き出し、オレは鼻の下がドロドロになった。
「ちょ……石井君! ベッド汚さないでよ! 僕は当分の間、ここで生活しなきゃならないんだからね!」
 言葉は怒っているけど、ネズミは顔が笑っていた。目は少し潤んでいるように見えたけど、それはきっとオレの気のせいだろう。
ネズミがティッシュを箱ごとくれたので、オレは盛大に鼻をかんだ。
「なぁ根津……。お前さ、どうして学校辞めたんだ?」
 使用済みのティッシュを丸めると、ゴミ箱に向かって投げる――ティッシュは、ゴミ箱の淵で跳ね返り、中に落ちた。
ネズミはちょっと困ったような表情を浮かべ、それからニッコリ微笑んでいった。
「今までどおり、ネズミでいいよ。結構気に入ってるんだ……学校を辞めた理由は……うん、誰にも言わないって約束してくれる?」
 外見を茶化すようなあだ名が気に入ってるなんて、ネズミは本当に変なヤツだ。
もしオレがネズミと同じ外見で「ネズミ」と呼ばれたら……きっと腹が立つだろう。
ネズミがなぜ、そのあだ名を気に入っているのかも気になったけれど、それ以上に学校を辞めた理由の方が気になった。
「分かった、絶対言わない」
「実は……僕、小説家になるんだ。知り合いにプロの人がいて、その人のところで修行することになったんだ」
 オレは本当に驚いた。ネズミの言うことは、オレには想像のつかないことばかりだ。
ネズミが本格的に小説の勉強を始めたら、本当に凄い作家になるかもしれない。ネズミはいつも本を読んでいるから、きっと面白い小説を書くような気がする。
オレはいつか近い未来、凄い作家になるかもしれないヤツと話してるだけじゃなく、デビュー前の、秘密の作品を読ませてもらう約束までしたんだ。
すげえよネズミ! オレなんて、高校卒業した後のことも考えてないのに、ネズミはもう、ずっと先に向かって歩いてるんだ!