ネズミ

 遠い未来の話、人類は科学を発展させ、宇宙に進出していた。
惑星『サイレント・ノア』は、地中に豊富なレアメタルを擁した星だ。
サイレント・ノアには二種類の人間がいる――遺伝子操作で産まれた、美貌と知性に溢れた支配者階級と、遺伝子操作を拒否し、自然な繁殖で生まれた奴隷階級。
科学万能の時代、神を畏れる心を失った支配者たちは、奴隷階級をこう呼んだ――ゴッド・チルドレン。
 ヨシハルはゴッド・チルドレンの青年だった。
母一人子一人、家は貧しく、ヨシハルは朝から晩まで、休むことなく地中に潜り、チタンやタングステンを――。

「石井君?」
 突然の呼びかけられ、オレはベッドから数センチ飛び上がった。
浴衣のような寝巻きを着たネズミが、不思議そうな表情を浮かべて立っている――さっきの爺さんと同じように、点滴スタンドを持って。
「お……おう、ネズミ……元気か?」
 オレはぎこちなく笑う。病院に来て「元気か?」と聞くのは明らかに妙だな、と今更思った。
だぼだぼの寝巻きのせいか、ネズミは学校にいたときより痩せているように見えた。顔色も、日焼けしていないせいで青白く見える。
ネズミは、首をかしげて少し考えるような表情を浮かべていた。オレが何のために来たのか、考えているんだろう。
「成田さんから、学校辞めたって聞いて……」
 オレがベッドから立ち上がろうとするのを、ネズミは手で制すると、隣に座った。ベッドか小さく軋み、ネズミの体重の分だけ沈む。
妙な形で腕に絡まった点滴のチューブをどけると、ネズミは膝の上に視線を落とし――目を見開いた。
オレは、さっきのノートを持ったままだったことに、今更気づいた。慌てて隠そうとしてももはや手遅れ。
「それ……読んだの?」
 ネズミはオレから視線を逸らし、足元を見つめて呟いた――淡々とした口調。ある意味では、怒鳴られるより怖い。
オレは、嘘を言ったところで状況がならないことを理解した。――「うん。少し……。」
ネズミが、ぎゅっとベッドのシーツを掴む。唇を噛んで、怒りを落ち着かせようとしているようだった。
「勝手に読んでごめん……まだ最初の方しか読んでないから! ホント、ごめん。でもすごいよ、ネズミ。お前が書いたんだろ?」
「石井君、正直に言ってくれないか? その……面白いって思った?」
 意外な反応だった。
オレはすっかり、ネズミが怒り狂って、それこそ殴りかかってくるかもしれないと思っていたくらいだ。けれど、ネズミは怒ってなんかいなかった。怒りを落ち着けようとしてるんじゃなく、恥ずかしがっていたんだ。
「うん、まだ最初しか読んでないけど、面白い……というか、面白そうだと思った。これからどうなるんだろうって。正直、続きが気になる。」
 正直な感想だった。あの日、『地底旅行』を持って帰ったとき、もしかしてネズミとオレは似たような趣味なんじゃないかと思ったんだ。
確かに、ネズミの小説はあまり上手くないかもしれないし、設定もありきたりかもしれない、けれど、オレの好きそうな話だった。続きが読みたい。本当に。
「ネズミがよければ、続き、読んでいいか? どうしても嫌だって言うなら仕方ないけど……。」
 オレがそういうと、ネズミは初めてこっちを見た。新しくなった眼鏡の奥で、黒い瞳が輝いている。
「ありがとう、石井君。でも、まだ書きかけなんだ。死ぬまでに完成させるから、それから読んでよ。」