偽天使の厄日

「これは一体どういうことでしょうか、ご老人?」
 緋色のカソックに赤いサンタ帽子という奇妙ないでたちで、ジョルジオは引きつった笑顔を浮かべていた。テーブルを挟んだ向かいの席に座る老人は、小さなトリア十字を両手で握りしめ、小さな声で「ありがたや、ありがたや」とつぶやいてから答えた。
「あぁ、司祭様。なんとありがたいお姿でしょう。実は、わしの孫が乳母の仕事をしておるのですが、その、仕事に行く前に急に具合が悪くなり病院に運ばれまして……」
 ジョルジオは頭の上に乗せられた帽子を忌々しいと思いながらも、聖職者らしい柔和な笑みをたたえたまま老人の話に耳を傾けていた。硬いものを噛み砕くかのようなゆっくりとした口調にも内心腹が立っていたが、部下である修道士相手ならともかく、高齢の在家信者を怒鳴りつけるわけにもいかない。これがもし部下であったら、爪の二、三枚は剥がしたいところだ。
「乳母の仕事を断ろうにも、孫がいませんのでどうすればよいのか見当もつかず、途方に暮れておりましたところ司祭様が赤いお召し物でいらっしゃったので、これは丁度いいと」
「丁度いい?」
「ごほんごほん……これは大いなる意思の思し召しだと思い、司祭様におすがりしようかと」
「なるほど、仰ることは理解できました。しかし、乳母であれば私よりも適任者がいるのではないかと思います。早速、手配いたしましょう」
「いえ、乳母といいましても、荷物を運ぶだけなのでございます」
 荷物を運ぶだけの乳母とは何とも奇妙な話だ——他の者に任せようと席を立ちかけたジョルジオだったが、仕事内容にわずかな興味を抱き、もう一度席に着く。
荷物を運ぶだけであればそれを専門にしている者に頼めばよいのであって、子供の世話を職分とする乳母に依頼する必要はない。だが、あえてそうするということは、何か別の目的があるからであろう。
「ふむ……。荷物とはなでしょうか?」
「鶏でございます」
「鶏? なぜです?」
「今日はクリスマスですから」
「クリスマス……確か、異教の祝祭でしたね」
「はい」
「ふむ……」
 異教の祝祭に乳母が鶏をもってどこかに行く。これは一体何を意味しているのか。
アポストリア教団では、上級司祭を父、修道士や信徒を子、下級司祭を子の長である兄と呼ぶ。もしや乳母とは、アポストリア教団の「兄」や「父」のように、子である信徒たちを導く役割を持つものをさしているのではないか。
 だとすれば、この老人の孫は異教である程度の地位を持っているということになり、この老人が異教の穢れに侵されることもあり得る。アポストリア教団では異教への改宗は浄化と救済の対象となることもある大罪だ。これを見過ごすわけにはいかない。
「この帽子にはどのような意味が?」
「サンタの帽子ですね。今日はクリスマスなので身に着ける決まりになっているようです」
 サンタとは異教の神のことであろうか。神の姿を模した異教の民と鶏……この二つから思い浮かぶものといえば、生贄を捧げる儀式だ。祝祭の日に生贄を捧げるというのは世界各国で古くから見られる風習だから驚くことではないが、そのような儀式に参加するとは、この老人の孫は異教にかなり心酔しているのかもしれない。これは調査する必要がありそうだ。
「これも大いなる意思の尊いお導きでしょう。我らに祝福のあらんことを。……ところで、私はどこに行けばよいのでしょう?」